はじめに:なぜ今、「建物の生涯」で環境性能を考えるのか?
2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」の実現は、今や世界共通の目標です。日本もこの目標を掲げ、社会全体での脱炭素化に向けた取り組みが加速しています。その中で、特に重要な役割を担うのが建築分野です。実は、日本のCO2排出量のうち約4割は、建築物に関連するものだとされています。この大きな課題に対し、これまで建築業界では「建築物省エネ法」などを通じて、主に建物の「運用時」のエネルギー消費量を削減することに力を注いできました。
しかし、このアプローチだけでは十分とは言えません。建物の環境負荷は、私たちがそこで生活したり働いたりしている間だけに発生するわけではないからです。建物を建てるために必要なコンクリートや鉄といった資材の製造、建設現場での工事、そして将来の解体・廃棄に至るまで、あらゆる段階で膨大なエネルギーが消費され、CO2が排出されています。
これまでの省エネ基準が建物の「性能」の一部、つまり運用時の効率性に焦点を当てていたのに対し、これからの建築に求められるのは、その建物の「全責任」を負うという視点です。建材の調達から解体後まで、その建築物が地球環境に与えるすべての影響を考慮し、最適化を図る。この包括的な考え方こそが、建築物のライフサイクルアセスメント(LCA)です。LCAは、建築の環境性能を測るものさしを根本から変え、設計者や建築主の役割を再定義する、新しい時代のスタンダードとなりつつあります。
建築物LCAの基本:ライフサイクルアセスメントを分かりやすく解説
LCAという言葉は専門的に聞こえるかもしれませんが、その考え方は非常にシンプルです。ここでは、その基本的な概念と、従来の省エネ基準との決定的な違いを分かりやすく解説します。
LCAとは何か?:「ゆりかごから墓場まで」の視点
ライフサイクルアセスメント(Life Cycle Assessment, LCA)とは、ある製品やサービスが、その全生涯にわたって環境にどのような影響を与えるかを、定量的に評価する手法です。これを建築物に当てはめたものが「建築物LCA」です。
この考え方は、しばしば「ゆりかごから墓場まで(Cradle-to-Grave)」という言葉で表現されます。つまり、建物の材料となる資源の採掘(ゆりかご)から始まり、資材の製造、建設、運用、修繕・改修を経て、最終的に解体・廃棄される(墓場)まで、すべての段階を評価の対象とします。
LCAでは、オゾン層破壊や酸性化など様々な環境影響を評価できますが、現在の建築分野では特にCO2排出量、すなわち「ライフサイクルカーボン(ホールライフカーボン)」の算定が中心的なテーマとなっています。
これまでの省エネ基準との決定的違い:「運用時」から「生涯」へ
建築物LCAを理解する上で最も重要なのが、従来の省エネ基準との違いです。その鍵となるのが、「エンボディドカーボン」という概念です。建物のライフサイクルカーボンは、大きく二つの要素で構成されます。
- オペレーショナルカーボン (Operational Carbon) これは、建物の「運用段階」で排出されるCO2です。冷暖房、照明、換気、給湯など、建物を使用する際に消費されるエネルギーに起因します。従来の建築物省エネ法が削減のターゲットとしてきたのは、主にこのオペレーショナルカーボンでした。
- エンボディドカーボン (Embodied Carbon) これは、運用段階”以外”のすべての段階で排出されるCO2の総称です。具体的には、資材の製造、建設、維持管理・修繕、そして解体・廃棄の各プロセスで排出されるCO2が含まれます。これまで、このエンボディドカーボンは建物の環境性能評価において見過ごされがちでした。LCAの最大の特徴は、この「隠れた」環境負荷を算出し、評価の対象に加える点にあります。
このエンボディドカーボンは、いわば建築における「カーボンの初期負債」と考えることができます。例えば、非常に省エネ性能の高いZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)を新築したとします。その建物は運用時のCO2排出(オペレーショナルカーボン)は少ないかもしれませんが、建設の瞬間に、資材製造などで大量のCO2(エンボディドカーボン)を排出し、大きな「炭素の負債」を抱えてスタートします。運用段階での省エネ効果は、この初期負債を何十年もかけて返済していくようなものです。
この視点は、新築と改修のどちらを選択するべきかという判断に大きな影響を与えます。既存の建物を改修して再利用することは、この莫大な初期負債を新たに発生させない、極めて有効な脱炭素戦略となり得るのです。LCAは、これまで当たり前とされてきた「スクラップ&ビルド」の文化に疑問を投げかけ、建築のあり方を根本から見直すきっかけを与えてくれます。
建物のライフサイクル各段階と環境負荷の内訳
では、具体的に建物のライフサイクルのどの段階で、どれくらいのCO2が排出されるのでしょうか。国際的にも用いられている分類に沿って、各段階の活動と環境負荷の内訳を見ていきましょう。
- A1-A3 資材製造段階 (Material Production Stage) 建物の「誕生前」の段階です。鉄鉱石や石灰石といった天然資源の採掘、それらを工場へ輸送するエネルギー、そしてセメントや鉄鋼、ガラス、断熱材などの建材を製造するプロセスでCO2が排出されます。特にセメントや鉄鋼の製造には高温での処理が必要なため、非常に多くのエネルギーを消費します。
- A4-A5 建設段階 (Construction Stage) 設計図が形になる段階です。製造された建材を建設現場まで輸送するトラックの燃料、クレーンなどの建設機械を動かすエネルギー、そして工事中に発生する廃棄物などがCO2排出源となります。
- B1-B7 運用・維持管理段階 (Operation & Maintenance Stage) 建物がその役割を果たしている、最も長い期間です。冷暖房や照明などで消費されるエネルギー(オペレーショナルカーボン)が大部分を占めますが、それだけではありません。外壁の塗り替え、設備の更新、定期的な修繕など、建物を維持するために必要な交換部材の製造や改修工事からもCO2(エンボディドカーボン)が排出されます。
- C1-C4 解体・廃棄段階 (End-of-Life Stage) 建物の「最期」の段階です。重機を使った解体作業、発生した廃棄物の輸送、そしてそれらを埋め立て処分したりリサイクルしたりするプロセスでエネルギーが使われ、CO2が排出されます。
これらの各段階で排出されるCO2の割合をまとめたものが、以下の表です。
建築物のライフサイクル各段階におけるCO2排出量の目安
| ライフサイクル段階 | 主なCO2排出源 | CO2排出量の目安 |
| エンボディドカーボン | ||
| 資材製造段階 | セメント、鉄、アルミニウム等の製造プロセス | 約30% |
| 建設段階 | 建設機械の燃料、資材の輸送 | |
| オペレーショナルカーボン | ||
| 運用段階 | 冷暖房、照明、給湯、換気などのエネルギー消費 | 約50% |
| エンボディドカーボン | ||
| 維持・改修・解体段階 | 交換部材の製造、改修工事、解体、廃棄物処理 | 約20% |
この表から分かるように、建物の生涯にわたるCO2排出量のうち、約半分は運用時以外の「エンボディドカーボン」が占めています。これまで見過ごされてきたこの部分に目を向けずして、建築分野の真の脱炭素化は達成できないのです。
LCAがもたらす設計の進化:アルキテックの専門性と共に考える
LCAは、単に環境負荷を計算して報告するためのツールではありません。それは、より知的で統合的なアプローチを促す、強力な「設計の羅針盤」です。LCAを導入することで、設計のあらゆるプロセスにおいて、環境負荷を低減するための新たな選択肢が生まれます。ここでは、建築構造と環境技術の専門家集団であるアルキテックの視点から、LCAがもたらす設計の進化について考察します。
構造設計における選択:炭素を「排出」する設計から「貯蔵」し「削減」する設計へ
建物の構造体は、エンボディドカーボンの中でも特に大きな割合を占める要素の一つです。そのため、構造設計の選択がライフサイクルカーボン全体に与える影響は計り知れません。
- 木材の活用 木材は、成長過程で大気中のCO2を吸収し、炭素として内部に固定する特性を持つユニークな建築材料です。木造建築を増やすことは、CO2を「貯蔵」する都市を創ることにつながります。アルキテックは、大阪万博のパビリオンのような大規模・複雑な木造建築の構造設計にも携わっており、木材の可能性を最大限に引き出す技術と知見を有しています。
- 低炭素材料の採用 鉄であれば、リサイクル鉄を原料とする電炉鋼を用いることで、鉄鉱石から作る高炉鋼に比べて製造時のCO2排出を大幅に削減できます。コンクリートも、高炉スラグなどの産業副産物を混合することで、セメント使用量を減らし、エンボディドカーボンを低減することが可能です。
- 合理的な構造計画 最も基本的ながら重要なのは、安全性や性能を確保しつつ、無駄な材料を極力使わない効率的な構造計画です。これは、優れた構造技術者の腕の見せ所であり、エンボディドカーボン削減の根幹をなすアプローチです。
アルキテックは、RC造、鉄骨造、木造、CFS(薄板軽量形鋼造)など、多様な構造形式に対応可能です。それぞれの特性を深く理解し、コストや性能だけでなく、LCAの観点から最適な構造システムを提案することで、環境負荷の少ない建築の実現に貢献します。
建物の長寿命化設計:未来への資産価値を高める「ストック型社会」への貢献
建物の寿命を延ばすことは、最も効果的なLCA戦略の一つです。例えば、50年で建て替えられる建物と、100年使い続けられる建物とでは、年あたりのエンボディドカーボン負担は半分になります。長寿命な建物を社会の資産(ストック)として蓄積していくことは、持続可能な社会の基盤となります。
- 耐久性の高い構造 建物の寿命を決定づけるのは、何よりもまず構造体の耐久性です。高品質な材料を選定し、緻密な構造計算に基づいた堅牢な設計を行うことが、長寿命化の第一歩です。
- 維持管理の容易性 どんなに頑丈な建物でも、適切なメンテナンスなしには長持ちしません。点検や補修、部材の交換がしやすいように設計段階から配慮することが、建物の健康寿命を延ばすことにつながります。
- 更新・改修の柔軟性 時代の変化と共に、建物に求められる機能も変わります。「スケルトン・インフィル」という考え方は、構造体(スケルトン)と内装・設備(インフィル)を分離することで、将来のライフスタイルの変化や技術の進歩に合わせて、インフィル部分を柔軟に更新できるようにする設計手法です。
アルキテックの提供する高品質な構造設計は、まさにこの長寿命化の「骨格」を創る仕事です。世代を超えて使い続けられる強固な「スケルトン」を提供することで、未来の多様なニーズに応える持続可能な建築の土台を築きます。
環境・設備設計との連携:エンボディドとオペレーショナルの最適バランスを探る
LCAの導入は、設計における「トレードオフ(二律背反)」の関係を浮き彫りにします。例えば、断熱材を厚くすれば、運用時の冷暖房エネルギー(オペレーショナルカーボン)は削減できますが、その分、断熱材の製造・設置に伴うCO2(エンボディドカーボン)は増加します。
真の目標は、どちらか一方を最小化することではなく、両者を合わせた「ライフサイクルカーボン全体」を最小化する最適解を見つけ出すことです。この複雑な課題を解決するためには、構造設計と環境・設備設計の緊密な連携が不可欠です。
アルキテックは、構造設計部門と環境・設備設計部門の両方を社内に擁しています。環境部門は、風・温熱・光などのシミュレーション技術を駆使して、オペレーショナルカーボンを削減するための最適な建築計画を導き出します。同時に、構造部門は、その計画を実現するための構造体のエンボディドカーボンを算出します。
この二つの専門チームが社内で一体となって検討を進めることで、「構造体のエンボディドカーボンが多少増えても、それ以上に外皮性能が向上し、60年間のオペレーショナルカーボンを大幅に削減できるなら、そちらの方が生涯の環境負荷は小さい」といった、高度で統合的な判断が可能になります。構造的に健全で、エネルギー効率が高いだけでなく、「ライフサイクル全体で最適化された」建築。これこそが、アルキテックが提供する独自の価値です。
建築物LCAを導入するメリット:環境価値が経済価値・社会価値になる時代へ
LCAの導入は、環境への貢献に留まらず、建築主や事業者にとって明確な経済的・社会的メリットをもたらします。環境価値が企業価値や資産価値に直結する時代において、LCAはもはやコストではなく、未来への投資と言えるでしょう。
- 企業のブランド価値向上とESG評価への対応 投資家が企業の環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)への取り組みを重視するESG投資が世界の潮流となる中、自社が関わる建築物のライフサイクルカーボンを把握し、削減に努めることは、企業の持続可能性を示す重要な指標となります。LCAへの取り組みは、企業の環境意識の高さをアピールし、ブランドイメージの向上や資金調達における有利な条件につながります。
- 将来の規制強化に備える資産価値の維持・向上 日本では、2028年度を目途に建築物LCAに関する制度の導入が検討されています。今後、LCAに基づいた環境性能の開示や基準値が設けられる可能性があります。LCAを考慮して設計された建物は、将来の規制にも対応しやすく、長期にわたってその資産価値を維持・向上させることができます。逆に、LCAを無視した建物は、将来的に「不適格な資産(座礁資産)」となるリスクを抱えることになります。
- ライフサイクルコスト(LCC)の最適化による長期的コスト削減 LCAは、建物の生涯を見通すという点で、ライフサイクルコスト(LCC)の考え方と非常に親和性が高いです。初期投資(イニシャルコスト)は多少高くとも、耐久性が高く、エネルギー効率やメンテナンス性に優れた設計を選択することで、運用時の光熱費や修繕・更新費用を大幅に削減できます。LCAは、目先の建設費だけでなく、長期的な視点での経済合理性を追求するきっかけとなります。
- 新たな技術開発とイノベーションの促進 エンボディドカーボンやオペレーショナルカーボンを削減したいというニーズは、低炭素材料や高効率設備、解体を前提とした設計(サーキュラーエコノミー)といった新しい技術や工法の開発を後押しします。LCAが普及することで、建材メーカーや設備メーカー、建設会社など、サプライチェーン全体での技術革新が促され、業界全体の持続可能性が高まるという好循環が生まれます。
さらに、LCAの導入は、建築プロジェクトに関わる人々の働き方そのものを変革する力を持っています。LCAを正確に算定するためには、建材メーカーからの環境製品宣言(EPD)といったデータ提供、設計者とエンジニア間での緊密な情報共有、施工者による正確な施工記録など、バリューチェーン全体での透明性の高い連携が不可欠です。これまで縦割りになりがちだった各専門分野が、LCAという共通の目標の下でデータを共有し、協力し合う。この協業プロセスこそが、最終的により質の高い、最適化された建築物を生み出す原動力となるのです。
まとめ:未来の建築を見据えて
建築物のライフサイクルアセスメント(LCA)は、もはや一部の専門家だけが議論する概念ではありません。それは、持続可能で、責任ある、そして真に価値のある建築とは何かを定義する、新しい世界のスタンダードです。
この大きな変化は、私たち建築に携わるすべての人に、短期的なコストやデザインだけでなく、建物の生涯にわたる環境負荷という長期的視点を持つことを求めています。エンボディドカーボンとオペレーショナルカーボンのバランスを取り、未来の世代に価値ある資産を残していく。それが、これからの建築の使命です。
アルキテック株式会社は、建築構造と建築環境、双方の分野に深い知見と技術を持つ専門家集団として、この新しい時代をリードする建築づくりをサポートします。構造の安全性・合理性と、環境性能の最適化を両立させる統合的なアプローチで、お客様のプロジェクトを成功に導きます。
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